ども〜、ポスドクにあるまじき最近のだらけぶりはナニ?!って、自分でも思うNicです。


それはさておき、ノーベル賞が話題になってる今日この頃、みなさま、いかがお過ごしでしょうか?
(↑ちょっと遅い?)


ノーベル賞の影(?)には、イグノーベル賞(Ig Nobel Prize)といふものがございまして、それはすなわち、
「人々を笑わせ、そして考えさせてくれる研究」に対して与えられる賞で、ノーベル賞のパロディ的な賞」

なのであります。

本家のノーベル賞とちがって、故人や架空の研究にもたまに授与されちゃったりしますが、ほとんどがばかばかしくも実在する研究です。受賞式に呼ばれたら、スピーチで聴衆から笑いをとることが要求されるらしい。


受賞作品・・・・じゃなかった、受賞した研究(あくまでも科学ですから)についてのリストは、wikipediaなどでも見られます。


てなわけで、うちが気になった研究をいくつかご紹介します。


1992年の文学賞
ユーリ・ストルチコフ (モスクワ有機元素化合物研究所の止めることのできない著者)
1981年から1990年の間に948報、平均すると3.9日ごとに1報以上の割合で科学論文を発表したことに対して。

すごい・・・。いったいどうすればこんなたくさんの論文が書けるのら?無理無理。絶対無理。けど、専門の「化学」じゃなくて、「文学」賞なんだ・・・?
−−;)



1993年の 医学賞
ジェイムス・F・ノーラン、トーマス・J・スティルウェル、ジョン・P・サンズ・ジュニア (慈愛に満ちた医療従事者)
彼らの痛々しい研究論文、『ジッパーに挟まれたペニスの緊急処理』に対して。

緊急処置について研究したということは、「はさむ→処置A」もしくは「はさむ→処理B」あるいは「はさむ→処置C」について、比較検討されたということだろう。統計学的有意差についても明らかにしてもらわんと困るから、ええと、サンプル数(=犠牲者の数)は、想像を絶するにゃ。たしかに痛々しい論文であります・・・。



2000年の心理学賞
デイヴィッド・ダニング(コーネル大学ジャスティン・クリューガー(イリノイ大学
彼らの謙虚な論文
未熟と不注意:過大な自己評価へと導く自分自身の無能力を認めることが、どれだけ困難であるか』に対して。

ほんまにケンキョな論文やな・・・。まずは自己評価が過大であることを自分で認めんといかんからね。・・・って、ややこいわ!


その2に、つづく。