ども〜、Nicです。

みなさま、お正月、楽しんでますか?

うちは、いつもは見られないテレビ(テレビないから)を実家でみてます。
初笑いってことで、普段は選ばないコンビの漫才その他、いろいろ楽しんでますが、
ただ、麒麟笑い飯の出番が少ないので消化不良ざんす。
(あちこちのHPで見ると、志摩スペイン村!とか、なんば花月の舞台とかで忙しくしてはるみたいです。)

で、
お笑いではないけど、お正月特番では、教養エンターテイメント「爆笑問題のニッポンの教養」の「新年会」がなかなか面白かったです。
参考までに、こんな番組でした。↓
http://www.nhk.or.jp/bakumon/previous/


同窓会から帰って来て、酔った頭で見てたんですが、眠くなるどころか、面白くて目が冴えちゃいました。

話を聞いてくれる専門家、例えるなら「その分野の素人だけど、それを知ろうとしている人間をおもしろがって相手してくれる」専門家と話をするのって、ほんと楽しいんです。呼吸が合えば(?)、話が盛り上がって、こっちのもやっとした考えを形にしてくれるという快感に何度も何度も脳がしびれる、てな体験ができます。
うほうほうほほ〜ん。
太田さんもこの楽しみを覚えちゃったんでせう?


でもって、この番組で、一番印象に残っているのは
無駄の価値ってなんですか?」という問いです。

宇宙物理の佐藤さんが、分析哲学(って分野があるのか〜?)の野矢さんにした質問です。たしか、その場では明確に答えてなかったけど、うちはテレビのこっちで
「無駄の価値は、どこまでも無駄であることではないでしょうか?」
と、思いました。


この番組を見るまでは、

「哲学ではお腹いっぱいになりませんが、でも、人間は家とご飯だけでも生きては行けないよ。ちょっとの空腹なら、米より哲学を食べた方が満たされる。」

って、Nicは思っていたのですが、この考えは「食べること」意外の価値観を持ち込んで、哲学に意味付けをしようとしてることなのね。
つまり、この考え方は「無駄に価値を見つけることの呪縛」からは自由になれてない。


野矢さんは、「無駄な学問」について、時間軸とか価値観の軸を増やして、新たな「価値」を見いだすのは「貧乏臭い」って、そんなようなことをいうてはりました。
時間軸を増やす:今は役に立たないが、長い目でみれば価値が出る、とする考え
価値観の軸を増やす:例えば、食べられるか食べられないかだけではなく、心の支えになるかどうかの判断基準を持ち込むこと。


無駄。とことん無駄な学問。
むっ、むっ、むっ。



すばらしい!!!
(T^T)


しびれたわ〜、もうっ。
学者としてほんもんになれたら、無駄といわれる学問をとことん追求したいなぁと、思った次第です。



追伸:ここでの話はあくまでもNicのフィルターを通して先生方の話を解釈したものです。興味のある方は、番組の再放送を見るなりHPを読むなりされたほうがよろしかと。