ども、論文はいつも書きかけ♪Nicです.

ポスドクなら、常に論文は投稿中でなければならない」とはかなりかけはなれておる状況です.
トホホのほ〜だ.


さて、今日は真面目にアーカイブを語ってみたいと思います.論文書いたり、ネットで動画を見る際になにかと気になっていたので...


話は長くなりますので、結論から言うと、

「いろいろな形のデジタル媒体が出てきているけど、昔のマイクロフィルムとかCDとかに記録されたデータはどうすればいいのでしょう?結局、2000年とか4000年後に残っているのは紙だけだったりしそうなんですけども.著作権に関しては、YouTube的なものを徹底的に排除するのは無理なので、取締りのいたちごっこをするより、YouTube的な仕組みをうまくつかって、利益が権利者に還元される方法を考えたほうがよかないですか?」
ということです.

YouTube/著作権に関してはその手の専門家がこんなことをゆーてはるので、読んでみられたらよろしかと。

http://tb.japan.cnet.com/tb.php/20351001

最近ではこんな講演も。
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20080303-00000027-zdn_n-sci

個人的には、中山さんの意見に納得なんですが。


え〜、もしも、ちょっとおつきあいいただけるのなら、Nicのつぶやきをどーぞ.↓


アーカイブ・・・本来の意味は「古文書/公文書」を保管しておく場所のことですが、最近では「いろいろな情報をいろいろなカタチで保管しておく施設や仕組みのこと」の意味で使われています. ITでいう「アーカイブ」は、またちょっと別の意味があるようですが、ここではそれは省かしてください.ITのアーカイブを期待してこられた方、すんません〜.


さて、情報をカタチにして残す、それはすなわち、人類の歴史をさかのぼってみれば、文章や絵を木や石(奈良県立博物館の人形の時代くらいの話^^))や紙に記しておくってことですね。近年になって、音や映像はフィルムに記録することができるようになりました.今はどちらもデジタル媒体に記録して残すのが主流になっています.


特に科学論文は「誰が最初に発表するか」が命ですから、新しい論文はオンライン版として紙より先にWed上にPDFファイルで“出版”されたり、紙では出さずにオンライン発表のみ(PDFその他のデジタル媒体のみ)の雑誌もあります.

古い科学雑誌をどのように保管していくかも重要な問題です。保管にはとにかく場所をとらない方法が求められますので、残すならPDFやテキスト形式のデジタル媒体にしておこうという計画もあります.


省スペースとかそれは大事やと思うけど・・・心配なのは、PDFっていつまで有効なんだろうか?ということです.


そんなん考えたって誰にも分からないんですけどね〜.
(。_゜)〃コケ.


むかし昔の文書や絵が残っているのは、全部「木と石(壁)と紙」に記録されたものじゃない?当時は、残す媒体がそれしかなかったとはいえ、それらは、ん〜千年の時を経て今に残っているわけですがな.それを書いた人は後世に残す意識がどこまであったかは怪しいですが、今の人類はススンデいるんだから「後の世代に伝えていく、残していく」ことを意識してなんかせなかんと思うのですね.


ちと用事があって某県の「公文書館」に行って、30-20年前の地方新聞を見せてもらったことがあります.それがねー、紙では残してなくって、マイクロフィルムだったんよ!なんか特殊な機械で見たのさ〜.一昔前のスパイみたいな気分になったよ.

しかし、そのマイクロフィルムって、映写機(?)がないと見られないものなんですよね。100年後、200年後にはこんな機械はもう存在していないか、あっても動かなくなってることでしょう。そしたら、マイクロフィルムで保存された情報は、取り出すことができないわけだ。
(映写機の設計図だけでも残しておくか。ドラえもんに頼むか?)


重要な情報なら、次世代型記録装置に移し替えていけばいいだろうって?
問題は...そこだ!
(°°;))きょろきょろ((; °°)


情報を移し替える時って、必ず「選択」がかかるんですよ。その情報が重要か重要でないかは、誰かの意思によって決められるんです。最大公約数の意見を取り入れるような努力がされたとしても、情報の重要性の決定は、その時代の判断でしかない。


それはしゃあないだけれども(だって「捨てろ」ってみんなが言ったから?!)、


「あ〜、その文献ね〜、新しい図書館になる時に処分しちゃったのよ。ここ何十年も誰も読んでなかったから。国会図書館にはあるかもしれないけど・・・、あ、ないわ。映写機の発掘からしてみる?」

ということも、あるわけだ。
(T_T)


それを言うなら、うちの書いた論文のPDFなんて、100年残っているかどうかもあやしいなぁと思います。
マイナーだから。
↑いばるな。

マイナーだからさ〜(しつこい)、PDFに変わるSPDF(仮名:スーパーPDFの略)とかが主流になったとき、そっちには持って行かれない可能性が高い。


今まで書いた(数少ないーー;))論文は、上質紙の別刷りがあるので、100年とか2000年後はPDFよりこっちが残るんじゃないか〜と、見つめているしだいです.
誰か発掘してね。えへ。



PDFだけじゃなくてね、デジタル媒体全体への不信感はぬぐえないです.いわゆるひとつの「互換性」というやつです.(なんで「ご完成」って一発変換されるねん!><;)).PDFはそれでもここ何十年そのままでおってくれてますが、映像の動画のほうは形式がいろいろあるし、ここ数年の変化が激しいですしね.Macを使っていると切実です。ヤホの動画を見るにはひと手間必要だったりするしさ。Gyaoとかも簡単には見れない。


そういえば、何年か前の学会で「論文を残すのにデジタルだけでええのか」の話が出たときに、ある若手研究者とこんな会話をかわしたなぁ・・・.

若手I「やっぱなぁ、紙やと思う.」

Nic 「だよね〜、やっぱ紙が安心できるやんねぇ〜.」

若手I「あのCDすらもう下火やしなぁ」

Nic 「けどさぁ、動画は紙じゃ難しいやない?せっかく「映像」も論文の一部になろうって時にさ、紙じゃ、逆戻りでしょ」


・・・話題が「研究者仲間の結婚」に変わったりして、しばし、中断。そして10分後・・・・



若手I「・・・・ふっ」

Nic 「ん?何?」

若手I「おれなぁ、ええこと思いついてん」

Nic 「え?なになに?」

若手I「紙でも映像残せるやん」

Nic 「・・・は?」

若手I「パラパラや」

Nic 「・・・ハイ?」

若手I「教科書の隅に書いてたあれ.パラパラ漫画でな〜、ボノボの繁殖行動とか、シオマネキの摂餌とか、イシカワガエルの産卵とかを「動画」として記録したらええねん.」

Nic 「・・・アホか。――;)どんだけ紙がいると思うのさ〜.てか、誰が書くか!」

若手I「書かんでもプリントしたらええし・・・100年プリント♪・・・色落ちするか。やっぱだめかー」

Nic 「ムリ無理〜.飲みが足らんのと違いますか〜」


みたいな.
高校生のくせに教科書にボノボ書いたらまずいでしょ.別にいいか.いや、ティーンにはアレはまだ早いでしょ.


しかし、今思うと、パラパラという「紙の動画」は人類の最後まで残る動画となる、すばらしいアイデアのような気がしないでもない、こともない.



笑い飯麒麟のぱらぱら♪なら、見てみてみたいし♡.残したいし。


とゆーわけで、長くなりましたので、映像やYouTubeに関するお話は、アーカイブを語るその2にて.

ちゃお.